プラカンブログSTAFF BLOG

2018.07.27

「情報は永久に残る」の巻

システムのまついです

今やインターネットの恩恵を得られない人はいない。
しかし、このインターネットワークによる利便性を恩恵と感じることが果たしていいことなのかどうか正直戸惑っている。
私の思う利便性とは私が移動する事なく問題を解決する事ができるという事だ。
クーラーのきいた部屋でソファーに寝そべって株を買う事ができるし、ロードバイクのパーツを海外通販で手軽に購入する事もできる。
旅行プランをたて、チケット予約、ホテルの予約だって可能だ。
見たくなった映画もオンデマンドで見れるし、興味があればそのロケ地をGoogleマップでストリートビューできる。
これらを寝そべったままできる。

そこで一度考えていただきたい。
私はすべてを信用して恩恵を受けているのであるが、その信頼する根拠はいったい何なのかと。
実は、信頼する根拠などありません。
よく聞くサービスだから利用しているだけなのです。
被害を受けるのはイヤですが、被害を受けるかどうかを見分ける事はできないというのが本音です。
多くのサービスを利用する機会がありますが、そのたびに個人情報が人質に取られています。
個人情報の漏洩という被害は、サービスを受ける代償として名前、住所、電話番号、カード番号などの情報が人質に取られているから防ぎようがないのです。
アカウントの削除で人質を取り返そうとしても、人質にアクセスできなくなるだけで、解放されたわけではないのです。

また、個人情報とは別にSNSの投稿記事のような個人的な情報というのがあります。
この個人的な情報は、読み手の判断で拡散したり、炎上したり、とてもカオスな伝達をして興味深いです。
拡散する条件を考えてみますと情報の真偽とは直接関係ないように思います。
ウソでもホントでも関係なく、誰か他の人に伝えたいという衝動が連鎖となって拡散し続け、やがて止まる。
水紋のようですが、違うのは水紋は消えるが情報の水紋は永久に残る。

この「永久に残る」ことが、とても恐ろしい事だと実感している人は少ないだろうと思う。
例えば、ある少年が悪気はなくとも他人を傷つける投稿を行ったが、この情報は彼が大人になっても消されることなくどこかに存在し続けます。
大人になった彼が何かの事件で疑惑の人となり注目を浴びれば、お節介なだれかが彼の過去の投稿を見つけ出して世にさらすのは周知の事と思います。
たとえ彼の疑惑は晴れたとしても、興味本位の大衆は彼に対して過去に他人を傷つけた投稿による罰を与えることをやめない。
自身の匿名性を隠れ蓑にした大衆の個々にとって、彼を誹謗中傷をすることに躊躇はない。
そして忘れたころ、今度は逆に彼を誹謗中傷した側が被疑者となり、誹謗中傷した投稿が裁判の証拠として提出されて罰を受けるという流れになることは想像がつきます。

個人的な情報は永久に残り、個人情報は人質にとられ、この事実が私にストレスを与え続けることを私は望まない。
逃れるには投稿記事を慎重にポストするべきだし、ソファーに寝そべって問題解決するのをやめなければならない。

こりゃ無理だ!

+dc(松)

この記事は、MATUI が書きました。