プラカンブログSTAFF BLOG

2017.11.27

石田三成という男

石田三成という男

経営者が歴史好きな理由

経営者に歴史好きは多い。実感としては歴史に興味のない経営者を探すほうが難しい。僕はそれをなんとなくオッサンくさいと思っていたが、自分が経営者になってみるとその気持ちはよくわかる。経営者は孤独なのだ。本当は不安で自信がない。だから何かを参考にしたいし、指標がほしい。そういう気持ちが自然と経営者を歴史好きにさせるのだろう。

人それぞれにヒーローはある。坂本龍馬かもしれないし、織田信長かもしれないし、徳川家康という人もいるだろう。僕もそういった陽の当たるヒーローたちにも興味はあるが、もっと興味をそそられるのは最後の将軍となってしまった徳川慶喜や、信長に反逆したものの秀吉に討たれてしまった明智光秀、そして天下分け目の大戦さを起こすも家康に敗れてしまった石田三成などの負けてしまったヒーローたちだ。なぜ失敗したのか、どこで間違えたのか、成功するヒーローとは何が違うのかなど、敗因のようなものを分析することが興味深いし、おそらく勝因を分析するよりも得るところが多いように思う。

石田三成という男

「三成に過ぎたるものが二つある。島の左近に佐和山の城」と言われる。島左近というのは経験豊富、勇猛果敢、人格的にも優れ、器の大きな武将としてよく描かれる三成の側近だ。左近の有能さを耳にした三成が4万石だった自分の俸禄のうち2万石を与えてまで召し抱えたというのは有名な話だ。「過ぎたるもの」として表現される左近だが、それでも左近は最後まで三成に従い、守り、闘い抜いて死んでいった。それはつまり、三成にはやはりそれだけのもの、左近にそこまでさせる何かがあったということではないだろうか。

石田三成

三成は、頭は切れるが人望がなく、他人の気持ちを慮るところのない「冷たい人物」としてドラマや小説ではよく描かれるが、本当にそうだったのだろうか。周りの武将との関係や関ヶ原に至る経緯などを見ていると確かにそういう面も多分にあったのだろうとは思う。しかし一方で領民には慕われていたようだし、左近だけでなく、大谷刑部などの優れた武将も最後まで三成に味方していた。なにより、敗れたとはいえ徳川家康と真っ向から戦うだけの西軍を組織できたのは並大抵のことではない。

負けに不思議の負けなし

そんな男が、天下を取り戻すあと一歩のところまできて、家康に敗れた。それはなぜだったのか。家康との違いは何か。小説や歴史書などを読んでいると、義を重んじすぎるばかりに現実に即した臨機応変な対応ができなかったことや、何事にもストレートすぎて敵を多く作ってしまったことなど、実力はあるのにもったいない!と感じることが実に多い。そう、もう少しうまく立ち回っていれば、天下が三成に転ぶ可能性は十分にあったのに!と、とても残念に思う。

自分が日常やっていることと、戦国の三成を直接比べることは恐れ多いが、どういうことをするとどうなってしまう可能性があるかというケーススタディを積み重ねることはできる。元プロ野球監督の野村克也氏も言っている。「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」と。負けてしまったヒーローたちの人生は、本当に興味深い。

参考リンク

 

この記事は1年以上前の記事で内容が古くなっている場合があります。

木村

この記事は、KIMURA が書きました。