プラカンブログSTAFF BLOG

2015.10.27

「今どきのクリエイターは可哀想」の巻

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システムのまついです。

ニュースのオリンピック招致エンブレム騒動を見ていて、「今どきのクリエイターは可哀想」だと思った。
自身が渾身の独創デザインだと思っても、お節介な人が似た作品をインターネットで見つけてチクル世の中なんだとあらためて実感した。
有名作品は類似検索され、似た作品があればパクリだとののしられ、過去作品にまで遡ってチェックされる。
有名クリエイター受難の始まりだと思う。
面倒だが、これからは作品を発表する前にインターネットで自分の作品と似た作品がないかを調べるとともに、独創であることを証明するための履歴保存をして、自己防衛をした方がいいのではと思う。

思うのですが、
絵画は、同じ風景、同じ構図を描いても別人の作品だとわかります。
これは作品を構成する情報量が多いので、他人と似る率が下がるからだと思います。
しかし、ロゴのように作品を構成する情報量が少ない場合だと、他人との共通点も多くなり、似ていると思う率が高まるのでしょう。
はたして、唯一無二だと思っていても、「世界を見渡すと同じことを考えている(特にいいアイデア)人はいっぱいいて、(偶然に)似る場合もある」という考えをクリエイターは受け入れられるのでしょうか。

私は受け入れないのではと思います。

クリエイターは、自分の作品を自身の頭の中だけで創作したという自覚があるがために、似た作品があっても別物だと思う気持ちが強いので受け入れ難いのではと思います。おそらくクリエイターの目には、作品を生み出すまでの経緯や思いが違うので、たとえ作品が同じ形状であってもそれは自分の作品とは違うものとして映っているのでしょう。

しかしながら、そんなクリエイターの思いもむなしく、作品を見た人が似てると思ったらやっぱりダメなんだと感じます。
インターネットが普及していない時代では似た作品があっても表沙汰になりにくかっただろうけれども、今はそうはいかない。厳しい世の中になったと思います。

さて、クリエイターは、自身のオリジナル作品と似た作品を見つけてしまった時にどのように行動するのでしょうか。多くは、見て見ぬふりをするのではと思いますが、そうもいかない状況では、ボツにするか、あるいは不本意ながらパクリと言われなくなるまで手を加えるか、あるいは、瓜二つだと他人は言うけれど私にとっては全く別物だと自身の信念を貫くか、いずれにしろ後味の悪い悔しい思いをするのだろうと思います。

ここまではクリエイターの事でしたが、プログラム開発においてはどうでしょうか。
実は意外でしょうが、プログラム開発では「車輪の再発明はするな」とよく言われる事から、ライセンスに従った模倣は許されています。
スキルを踏襲するという考えを実践することから、プログラマーは、よく職人にたとえられます。
ウィキペディアによりますと、車輪の再発明とは、「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を知らずに(または意図的に無視して)、同様のものを再び一から作ること」を意味する。」とあります。このたとえは、新たな付加価値が何も無いものを作成する行為が無駄なコスト(努力)であるという皮肉的な意味が込められています。

どうも招致エンブレム騒動を読み解くキーワードは「コスト」のようですね。

今どきのクリエイターは職人さんっぽくなって、
いつのまにか、コスト重視のクリエイターが有名になっていたのですね。
クリエイターは「車輪の新発明をする」ものだと誰もが思っていました。

この記事は、MATUI が書きました。